
極真空手が求める理念、極真空手に求められる理念
1.“力”と“感謝”の理念による社会教育・社会貢献
極真の第一の理念は“力”である。“力”とは空手においては強さであり威力であるが、学問やスポーツならばその成績であり、芸術や美術においてはそのすばらしさであり美である。また経済においては経済力であり、経営においては収益であり、商売ならば儲けである。いわゆる政治力・軍事力も文字通り“力”である。また才能・努力・人脈そしてありとあらゆるものが力の源泉であり力の結果でもある。
理屈抜きにあらゆるジャンルにおいて“力”は不可欠であり“力”がなければ生きられないのが現実であり事実である。
では極真の第二の理念である“感謝”とは何か?
“力”がいくら不可欠であり絶対的に必要とされるものであっても、個々の“力”だけではお互いが敵としてしか存在できない。つまり一人一人は“力”があってもそれがバラバラでは統合された大きな力とはならず、それどころか互いに争う闘争状態になってしまうからである。
その結果人間全体つまり社会全体ではかえって“力”を失う結果となってしまう事になるのである。“感謝”は人間や社会の持つもうひとつの力つまり組織・集団の力を生み出す為の協力関係を築く理念なのである。
我々一人一人がいかに力や才能があってもすべての面、例えば衣食住のすべてを自分だけでまかなう事など不可能である。また自動車やクルーザー・飛行機など作るどころか修理や運転さえも出来ない場合がほとんどである。極端に言えばご飯1粒、パンツ1枚自分で作れないのだ。
ほとんどあらゆる面でその道のプロに頼らざるを得ない、助けてもらわざるを得ないのである。そこに他者の必要性とありがたみが有り、次に他人への感謝が生まれてくる。
「人は強くなければ生きられない。しかしやさしくなければ生きる資格がない。」とは有る有名な映画の主人公の言葉だが、まさにこれこそ「自分に厳しく、人にやさしく」という“極真空手が求める理想的人間像”を端的だが明確に示す言葉である。
そして人間として生まれてくる誕生という原点を考えると、そこには命を与えたうえ、成人するまで20年近く飯を食わせ育ててくれた親の存在に気づくことになるのである。
いったい親以外の誰が何年もただ飯を食べさせてくれるのか?
当たり前のようだが、そこにひたすら与え続けるすさまじい親の愛がある。
極真空手が感謝の原点を“親孝行”に置くのはそういう理由からである。
親孝行の具体的方法については各家庭によってそのやり方に違いがあるが、一例として旅行や食事など楽しい場所やおいしいものを見つけたら誘ってあげるなど大げさではなくとも身近なことから実施してゆくのがよいと思う。
子供に親孝行を言葉で教えるよりも親自身が自分の両親に親孝行する姿を常に見せておくことが大切である。
子供は親の言うことはなかなか聞かないが、親のやっていることは自然とまねてしまうものである。まず自が両親に親孝行して手本を示さなければならないのである。
極真空手という過激な武術・闘争術が、逆に感謝の理念を必要とすることは、現実の生活を営む人々が競争社会・闘争社会に生きざるを得ない状況と相似形となっている。
現実社会も“力の理念”と“感謝の理念”をともに必要としているにもかかわらず、現状は“力”ばかりが強調され“感謝”は忘れ去られているのである。
つまり“力と感謝がともに尊重されてこそ豊かな人間社会が実現するのであり、それが人類が求めるべき理想的現実”なのである。
常に“力”を求めるなかで“親孝行”を原点とする“感謝の精神”を育てることこそ人間社会の精神的基礎づくりなのである。これが崩れて殺伐となり治安が悪くなってしまっているのが現代社会であり、親孝行を原点とする感謝の精神を教えないことが教育の根源的失敗なのである。これは日本のみならず世界の失敗なのである。
この“力と感謝の精神”を青少年及び社会に伝えていく事が極真空手及び武道の大きな教育的・啓蒙的役割であり、人類幸福・世界平和に貢献する活動である事を我々は忘れてはならない。特に“親孝行にもとづいた感謝の精神の復権”こそ21世紀の人類の幸福と安全の鍵なのである。 |